ハシタカこと小川瀬里奈さんのこと
イタリア人の血を引いているせいなのか、大らかで、いつも朗らかな感じの小川さん。
その人当たりの良さ、ふんわりした感じは、人を疑うことを知らない子供のようでもあります。
一方で小川さんは、一人の時間を大事にするタイプでもあるようで、自らの思いを細密でリリカルなイラストに起こされたりもしています。
オーディションの時には、そんなイラストを手土産に、もう一つの特技でもある「歌唱」も披露してくれました。本作のオーディションは、ナビ番組・『放課後☆個人授業』でも触れられているように、一次では演技を、二次では為人(人となり)を、三次では歌を、という風な流れで行われていたのですが、小川さんは三次でなく、いきなり一次で自ら「サンタ・ルチア」を絶唱されたのです。
原語のイタリア語で「サンタ・ルチア」の1コーラスを丸々歌いきるその姿には、正直、面食らったりもしたのですが(^^; 今思えば、小川さんらしいストレートなプレゼンテーションだったんだなあ、と思います。
これもやはりオーディションの時に、彼女自身がアピールしていたことなんですが、アクションものの出演経験があるので、アクション的なシチュエーションがあった場合は、なるべく自ら演じてみたいと。そんなことから、今回を含め、シリーズ中、何回か彼女自身がボディー・ペイントされたり、ワイヤーで吊られたりしているシーンがあります(勇ましい!)。
因みに現在、テレビ東京系『アリケン』にも出演されていますので、そちらでの活躍も是非チェックしてみて下さいね!
脚本家・荒川稔久さんのこと
第5話からは、脚本に荒川稔久さんに参加して頂いています。荒川さんと仕事をするのは『仮面ライダークウガ』という作品以来なので、約10年ぶりになります。
お互いの仕事のペースやこだわり具合を知っているせいもあって、一緒に仕事をするには、それなりの覚悟が必要だったんじゃないかと思っています(^^;
何せ『クウガ』の時は、ねばりにねばるというか、追われに追われてホン作りをしていて、結果的に、撮影所で寝泊まりするような日々を送っていたもので。
とはいえ、互いの“ねばり癖”は、年月が経ったからといって変わるようなものではないことにも何気に気付いていたわけで…。
果たして、今回は、バトルをシミュレーション的に描く、という『クウガ』におけるマスト事項からは解放されていた一方で、生き方を見失いかけた女性の心情を日常の空気感で描くという課題に
取り組まねばならず。そうした時に、それを何によってどう表現するか、といったことで、やはりギリギリまでねばってキャッチボールすることになりました。
ただ、このねばりこそが荒川さんらしさというか、作家としての誠実さなんじゃないかと思っています。
些細な描写の積み重ねで、人物たちの心情の揺らぎを表現する荒川さんのシナリオは、監督たちにとってもカノンを描き出す上で、豊かで確かなモチベーションとなったと思っています。
カメラマン・野村次郎(31)のこと
愛称・のむじろう。名前を一字だけ縮めたこの呼び名には、実は「呑む次郎」という意味が引っかけられています。
とにかく、よく酒を呑む男です(^皿^)
で、都内なら自転車で移動するので、春を過ぎた頃からは、目的地に着いてから暫くの間、滝のような汗が止まらないでいます。余りにも汗をかくので、坂本監督からは冗談で、禁酒命令まで出たこともありました(^^;でも、非常に健全かつ、健康的な飲み方をするので、みんな彼と一緒に飲みたがります。清々しさを絵に描いたような男なのです(←ちょいお世辞)。
いきなり、呑兵衛ネタから入ってしまいましたが(^^; 本作が彼のカメラマン(撮影技師)デビューとなります。彼と出会ったのは『仮面ライダー響鬼』という作品でした。
1・2話がクランクインしてすぐの屋久島ロケ。水平線の向こうから昇る朝日をバックに、人物たちが会話するシーンで、Aキャメ(メインのカメラ)が人物たちを撮るのに対して、Bキャメ(サブのカメラ)は、朝日そのものを撮ることになっていました。
そのBキャメを担当していたのが次郎でした。
とはいえ、広がる水平線のどこから太陽が顔を出すかなんて、地元の人だって迷うはずです。案の定、彼もカメラ位置には大いに悩んだようですが、直前に機転を効かせて位置を修正し、一発狙いの決定的瞬間を見事、モノにしてくれました。
「いい画」を目指して誠実かつ欲深くあろうとする、若いながらもプロフェッショナルな、そんな彼の仕事ぶりを見ていて、いつか彼の力になれるといいなぁと思っていました。一人立ちして初舞台となった本作で、野村次郎が、どんな画作りに挑み、励んだか、ご注目頂けると幸いです。
清水流作法
レギュラーセットのライティングにも手を入れてしまうほど、画作りを重視する清水監督は、ロケ地にもこだわりを持っています。今回、印象的だったのは、「ハシタカが立つ塔」と「カノンが彷徨う下町風の街並」、そして「カノンとタイヘイが距離を縮めた公園」でした。
「塔」は、田無にあるスカイタワー西東京。通称・田無タワー。監督としては、『ベルリン・天使の詩』のブルーノ・ガンツが立っていた、ベルリンの戦勝記念塔「ジーゲスゾイレ」をイメージしていたそうです。
現場は、高所だけに、スタッフ・キャスト全員、命綱をつけての撮影となりました。周りに映っていた実在の建物などは、CG処理によって消されているそうです。
「街並」は、北品川の旧東海道沿い。ロケハン=散歩を日課とする監督にとって、15年前からの散歩コースだったそうです。どこかウェットで、今よりのんびりしていた昭和的な空気感に一定の意味合いを持たせている本作の主旨を清水監督なりに、描き出したシーンだったと思います。
そして「公園」は、堀之内の秋葉台公園。因みにこのシーンを撮影していたのは、2009年の8月で、蝉時雨が絶好調な時期でした。
当初は整音時に調整をかけるか、アフレコで台詞を録り直すか、などの案もありましたが、里久鳴さんと眞島さんの演技は、現場で、気持ちを込めて演じられたテイクが最も良いということで、背景に蝉の合唱が聞こえている“オリジナル”を生かすことになりました。更に、蝉の鳴き声の効果音も足す方向で整音がなされ、ラストシーンは、郷愁を感じさせる、味わいのあるものに仕上げられました。
理想主義者のタイヘイ
人の愛、善意を受けて、この世に生まれ変わったタイヘイとしてみれば、人と人、人と生きもの、人と自然、人と道具は、どれも思い合い、慕い合う関係であることが当然だと思っているに違いありません。誰かは誰かのためにいる。何かは何かのためにある。みんなは支え合い、助け合い、幸せや喜びを分かち合うために生きている。そんな風に思っている(信じている)タイヘイにとって、人に優しくできなかったカノンは、「不可解」で「不愉快」ということだったんだと思います。
しかし、この世の中は不条理で溢れています。誰もがタイヘイのように純粋に、シンプルに、強く生きている(生きていける)わけではありません。人は人ゆえに、誰しも心の中に闇を抱え、言わば天使と悪魔のささやきに心を揺さぶられながら生きています。カノンのように悩んだり、時として人の窮状を見て見ぬふりをしたりしながら生きていくのが、むしろ自然のような気もします。
タイヘイが言っていること自体は間違っていないと思います。一方で、タイヘイのように「正しいこと」を「白」として揺るぎなく信じ、「黒」を認めず生きることは、今の世の中において折り合うのかどうか。
この時代を生きる者として、カノンやタイヘイと共に、その答えを探し出していければと思っています。「白」か「黒」なのか。はたまた「白」も「黒」もなのか。引き続き、『カノン』にお付き合い頂けますと幸いです。